ディベートを標榜し活動している私たちは、たまに
 「ディベート」という言葉に色がついている方をお見かけし、
 ディベートに対するイメージをお聞きすることがあります。
 (逆に、ディベートそのものを知らない人が世之介の周りには多いことも追記しておきます。)
なぜか主張がとおる人の話し方&考え方



 「何でも理屈で通す人」
 「何を内心は考えているかわからない」
 「攻撃的な人なのでは・・・」
 などなど。



 なぜこういう意見が存在するのかは、この場で問うことではないと思います。
 あえて言えば、ここに至るまでの経緯はどうだっていいのです。



 大事なのは、今後、上記のような色のついた見方・意見をじっくりほぐしていく、
 言い換えれば、
 「ディベートはそんなネガティブなことばかりではないのですよ」
 と多くの方々に示し、安心してもらい、
 そして、その方々にディベートを活用していただくことこそが大事なのでは?
 と考えています。
ディベートの達人が教える説得する技術 ~なぜか主張が通る人の技術と習慣~



 私たちザ・エンターテインメントディベート BURNING MINDは、
 新しいディベートのあり方に挑戦していきたいのです。

 ここで、今日のお話は、タイトルにもあるとおり、
 ディベートの根底に流れるものとは?
 を書いていきます。



 ディベートの中には、「反対側の存在」というルール・原則があります。

 つまり、絶えず、自分とは違うものを前提に議論を進めていかねばならないということです。



 必ず、反対がある。
 必ず、アンチテーゼが存在する。



 世の中は、必ず反対やアンチテーゼがありますよね。

 自分の意見がすべて通る人がいたら、その人はまさに神です。
 そんなことはありえない。

 この人生にも通ずることがルール・原則として明文化されているのです。



 これをおしすすめると、


 ディベートの根本精神は、
 ダイバーシティーを認める
 多様性を前提にモノゴトを進めていく

出井伸之 多様性への挑戦 (90年代の証言)

出井伸之 多様性への挑戦 (90年代の証言)

 ということでしょう



 いろいろな考え、いろいろな価値観、さまざまな利害・・・
 それら多様性をどう捌いていくのか、
 これがディベートを使いこなしていく意味でしょう。



 ディベートの根本精神に
 「反対側の存在」
 ⇒それは、『多様性』をまず認める



 ここをご理解していただきたいと思います。



 その『多様性』・『ダイバーシティー』を無視して、
 ディベートをすることは恐ろしく独断的で、
 攻撃だけを重んじる、
 この日本という国では間違いなく普及しない代物となるでしょう。

この国のかたち 一 (文春文庫)

この国のかたち 一 (文春文庫)

 私たちの国は、良かれ悪しかれ
 今話題のキーワード「共生」という理念が歴史の根底に流れているのですから。
虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実

虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実

 今日も、世之介でした。